京都の観光名所として、杉本家住宅というのはそれほど有名ではないと思います。実は杉本家住宅は、京都の町家を代表する住宅なのです。ここでは杉本家住宅とはどういう場所なのか?そして住宅の中は何があるのかについて、公開されたときに撮影した写真とともに紹介します。
- 杉本家住宅とは?
- これが杉本家住宅の正面です。
- 杉本家住宅の歴史
- 杉本家住宅の中を少し紹介します。
- 杉本家の主な公開行事
- 杉本家が飾り場の祇園祭の山鉾のひとつ 伯牙山とは?
- 杉本家がある綾小路通とは?
- 杉本家住宅の情報
杉本家住宅とは?
杉本家住宅とは、京都の中心、詳しくは祇園祭で有名な四条烏丸から西南方向に行ったところにある南北方向が新町通、東西方向が綾小路通の交差点の西にある大きな屋敷跡です。
杉本家住宅は、京都で有名な町家=お店と住居が一体になったお家 の中でもとても大きな町家です。大概の町家は、幅が非常に狭い代わりに、奥行きが非常に長いお家が多いのですが、杉本家住宅は、幅が非常に広い=京都の町家の中で最も広い 上に、奥行きも非常に長い広大な面積の町家です。
これが杉本家住宅の正面です。
1枚の写真に入りきりませんね。正面から左側を映した写真です。
一方、正面から右側を映した写真です。
杉本家住宅の歴史
杉本家は、もともと江戸時代の中期、18世紀‘=1700年代中ごろに、奈良屋という呉服屋に丁稚奉公に行った杉本新右衛門が、独立を許されて奈良屋の称号を貰って開業したのが発祥です。1864年に元治の大火で焼失してしまった後に再建したのが、現在の杉本家住宅で、約150年の年月が経過している家です。
元治の大火で焼けなかった蔵と、再建した大きな家含めて、1990年に京都市指定有形文化財になり、さらには2011年には、国の重要文化財になりました。
杉本家は、祇園祭の前祭りの山のひとつである伯牙山のお飾り場としても有名です。
2020年には、杉本家住宅築150年を迎えます。
杉本家住宅の中を少し紹介します。
杉本家住宅は、中が殆ど撮影禁止なのですが、3か所だけ撮影OKの場所があります。その場所で撮影した写真を中心に杉本家の紹介します。
1つめのスポット:呉服店の看板
杉本家は、奈良屋という名前で呉服屋を長く営んでいました。その看板がこれです。
呉服屋の看板です
2つめのスポット:仏間・仏間庭
杉本家は、ずっと浄土真宗本願寺派を信仰してきました。本山が、京都駅近くの西本願寺です。滑石が敷いてあるのが仏間庭と言われ、信仰の厚さが感じられます。
滑石が敷かれた仏間庭
スポット3:八畳の間・路地庭
明治26年に増築された部屋であり、そこの庭を露地庭といいます。庭には、飾り雪隠、井戸、などがあります。
メインルームは、座敷・座敷庭でした
残念ながら写真撮影は出来ませんでしたが、杉本家住宅のメインルームは、座敷・座敷庭です。ご主人専用の客間ということで、ご主人以外の家族もなかなか入れなかったという格調ある部屋です。
杉本家の主な公開行事
杉本家住宅は、年間ずっと公開されているわけではなく、限定公開の期間に中を見学できます。主な公開行事としては、3月の雛飾り展、5月の端午の節句展、7月の祇園会屏風飾り展があります。
なかでも祇園祭のときには、伯牙山のお飾り場であると共に、杉本家の宝である屏風が飾られます。所謂山鉾巡行の前の宵山の時期に屏風が飾られるという訳です。
杉本家が飾り場の祇園祭の山鉾のひとつ 伯牙山とは?
ここでは、杉本家が飾り場となっている伯牙山を紹介します、
伯牙山は、”はくがさん”と呼びますが、別名”琴破山”といいます。
琴の名人伯牙が自分の理解者であった鐘子期(しょうしき)が亡くなったことを嘆いて、琴の弦を絶ったという「知音(ちいん)」の故事が基となっている”山”です。
他の山鉾とは趣が違って山の装飾に統一感があるのが特徴です。水引・胴懸・見送・金具の図柄にいたるまで懸装品はすべて中国風となっています
写真は、祇園祭宵山での伯牙山です。
杉本家がある綾小路通とは?
綾小路通(あやのこうじどおり)は京都市内の東西の通りの一つです。 東端は、沢山のお店でにぎわっている寺町通です。西橋は天神川通りまでの通りです。
綾小路通の北の通りがあまりにも有名な四条通、南の通りが仏光寺通です。
平安京時代から綾小路はありました。杉本家住宅を始めとして、裕福な商人の屋敷が多かった通りとして有名です。
杉本家住宅の情報
住所:京都府京都市下京区綾小路通新町西入る矢田町
アクセス:阪急電車京都線 烏丸駅下車 地下通路25番出口より徒歩約5分
市営地下鉄 四条駅下車 地下通路4番出口より徒歩5分
駐車場はありません。
入館の際に、靴下の着用が義務付けられています。
自転車で来た場合は、自転車を家の入口近くの蔵の前に停車出来ます。